2025年3月1日、みのもんたさんが亡くなりました。享年80歳。
日本のテレビ界を代表する名司会者であり、**みのもんたの朝ズバッ!**をはじめとする数々の人気番組で活躍。一週間で最も長時間テレビの生放送に出演した司会者としてギネス記録にも認定された、まさに“伝説のしゃべり手”でした。
そんなみのもんたさんですが、晩年はパーキンソン病という病と向き合いながら静かな生活を送っていました。
みのもんたさん自身が語った、パーキンソン病のリアルな症状や闘病生活、そして最後に残した言葉を振り返ります。
2020年にパーキンソン病を公表…みのもんたさんの異変
みのもんたさんが自身のパーキンソン病を公表したのは2020年。
2019年秋、知人の葬儀に参列した際、立っていられない、上半身が前に傾くなどの症状を自覚し、医師の診断を受けた結果、パーキンソン病と判明しました。
この発表は多くのファンに衝撃を与えましたが、みのもんたさんは療養を優先し、テレビからは徐々に姿を消していきました。
パーキンソン病との闘いと、続けたリハビリ生活
2024年12月には、TBSアナウンサーの井上貴博さんが、みのもんたさんの自宅を訪問。
久々の再会で語られたのは、パーキンソン病と闘う日々のリアルな姿でした。
みのもんたさんはフィットネスバイクを毎日1時間こぎ、プールで歩くなどのリハビリを続けていました。
「歩けなくなるのが一番怖い。だから毎日やるしかない。」
そう語る一方で、こんな本音も漏らしています。
「プールで歩くってさ…画にならないんだよね。」
テレビスターとして“見られる”ことにこだわってきたみのもんたさんだからこそ、人知れず葛藤していたことが伝わります。
「外に出るのが嫌になる」…病気とともに変化した心
みのもんたさんはパーキンソン病の症状だけでなく、気力の低下にも苦しんでいました。
「外に出たくない」
「テレビも観たいと思わない」
「何もする気が起きない」
こうした無気力感もパーキンソン病の特徴のひとつ。
「誰にも会いたくない」「1人が楽だ」と、自らを孤立させていった様子がリアルに語られています。
晩年の楽しみは「晩酌」と「通帳の残高確認」
「今の楽しみは?」と問われたみのもんたさんは、こう答えています。
「晩酌だね。1人で飲む酒が一番うまい。」
「あとは通帳の残高を見てニヤニヤするくらいかな。」
全盛期には16本ものレギュラー番組を抱えたみのもんたさん。
多忙を極めたからこそ、晩年は1人で静かに過ごすことが心地良かったのかもしれません。
「しゃべり手」として最後まで貫いたプライド
みのもんたさんといえば、「しゃべり」のプロフェッショナル。
晩年には、「面白いしゃべり手が少なくなった」と嘆きつつも、しゃべりの極意を井上アナに語り継いでいました。
「しゃべりで生きていくっていうのは素晴らしいことだよ。」
「流暢にしゃべればいいってもんじゃない。“間”をどう使うかなんだ。」
これはみのもんたさんがテレビ界に遺した最後のメッセージでもありました。
みのもんた プロフィール
本 名 | 御法川 法男(みのりかわ のりお) |
芸 名 | みのもんた |
生年月日 | 1944年8月22日 |
没年月日 | 2025年3月1日(享年80歳) |
出身地 | 東京都世田谷区 |
出身校 | 立教大学経済学部卒業 |
職 業 | フリーアナウンサー、司会者、タレント |
所属事務所 | フリー(過去にニッポン放送勤務) |
デビュー | 1967年(ニッポン放送にアナウンサーとして入社) |
代表番組 | おもいッきりテレビ、みのもんたの朝ズバッ!、秘密のケンミンSHOW など |
ギネス記録 | 「1週間で最も長時間生放送に出演した司会者」として2006年に認定 |
主な受賞歴 | 放送文化基金賞、日本民間放送連盟賞 など |
趣 味 | 晩酌、通帳残高チェック |
晩年の病 | パーキンソン病(2020年公表) |
まとめ|みのもんたさん死去…最後まで“みの節”は健在だった
2025年3月1日、みのもんたさん死去というニュースが日本中を駆け巡りました。
パーキンソン病と向き合いながらも、最後まで“しゃべり手”としてのプライドを捨てなかったみのもんたさん。
晩酌を楽しみ、通帳を眺め、「しゃべり」への思いを語り続けた人生。
その姿は、これからの高齢者や、病気と向き合うすべての人々に勇気を与えてくれるはずです。
心からご冥福をお祈りいたします。