元フジテレビニュースキャスターで、政治評論家の俵孝太郎さんが亡くなりました。享年94歳。
俵さんの学歴と生前のエピソード、あの人気俳優との意外な繋がりについてご紹介します。
俵孝太郎さんの学歴
中学校・高等学校
俵さんは、東京高等師範学校附属中学校・高等学校(現 筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業されました。

大学
俵さんは、東京大学文学部倫理学科を卒業されています。
大学卒業後の経歴
1953年 | 産業経済新聞社入社 (大阪本社 社会部記者) |
1959年 | サンケイ新聞東京本社(政治部記者) |
1965年 | サンケイ新聞諭説委員 東京本社政治部記者 |
1969年 | サンケイ新聞論説委員 |
1969年 8月 | 産経新聞社 退社 |
1969年年10月 | 文化放送ニュースキャスター |
1978年10月~1987年3月 | フジテレビ ニュースキャスター |
「こんばんは、俵孝太郎です。」が一躍有名に!
俵さんは新聞記者の後ニュースキャスターとして、テレビの舞台にデビューしました。
『FNNニュースレポート6:00』の初代キャスターをつとめたが、あまりにも表情とコメントが硬くて、お世辞にも視聴者のウケは良くありませんでした。
そんな俵さんをビートたけしさんや故志村けんさんにモノマネされるようになって、逆にその実直と硬さが人気の的になってしまいました。
俵孝太郎の祖父と小泉純一郎元首相は盟友
俵孝太郎さんの祖父 俵孫一氏は元商工大臣で、小泉純一郎元首相の祖父である小泉又二郎氏とは、同じ政治家というだけではなく、私生活でも大親友でした。
そして、又二郎氏は、孫一氏の家にまるで我が家のように出入りしていたそうです。
孫一さんと暮らしていた幼かった俵孝太郎さんも又二郎さんが出入りしている光景を目にしていたので、家族のような気持ちでいたのかもしれません。
そんな縁で、小泉純一郎さんの長男で人気俳優の小泉孝太郎さんは、俵さんから下の名前をいただきました。
俵さんと小泉孝太郎さんはその後cmでも共演しています。
まとめ
元フジテレビニュースキャスターで政治評論家の俵孝太郎さんが94歳で亡くなりました。
東京大学文学部卒業後、新聞記者やニュースキャスターとして活躍し、「こんばんは、俵孝太郎です。」のフレーズで知られる存在に。
生前はビートたけしさんらにモノマネされるほど実直なキャラで親しまれました。
また、俵さんの祖父と小泉純一郎元首相の祖父が親友だった縁で、俳優・小泉孝太郎さんの名前の由来となるなど、意外な繋がりもありました。俵孝太郎さんのご冥福を心よりお祈りいたします。